鎌倉から、源氏が消えた日。
新型肺炎で、心配なニュースが毎日流れています。 現地におられる方々、とっても心配です。 早く終息に向かって欲しいです。
さて、1月27日は、頼朝、頼家の跡を継いで将軍となった源実朝さんが亡くなった日です。 その死で、源氏将軍と河内源氏棟梁の血筋が絶えた、と伝わる、鎌倉が激震した日ということです。

この日は雪だったと伝わります。 今日、関東地方も大雪かもとのニュースが(それはそれで大変ですがっ)。


レオミクも、もちろん大好きで何度も足を運んだ鶴岡八幡宮。 由比ガ浜などへ行く途中でも、必ず立ち寄りました。 鎌倉の小さな街には不釣り合いな巨大な八幡宮。 源氏のチカラを体感できる場所です。

鎌倉時代はもちろん、この国の中心ともいうべき場所。 実朝さんは将軍の地位を継ぎましたが、武と謀略を駆使して時代を切り開いた頼朝さんとは違い、文化人の匂いが強く、また病弱でもあった方だと伝わります。

武士としては初めての右大臣という地位を得た実朝さん。 昇任を祝うため、鶴岡八幡宮へ拝賀されたのが最期となりました。

きっと、輝くばかりの壮麗な拝賀だったのだろうなと思います。
儀式を終え、夜になって退出の時、「親の敵はかく討つぞ」と叫び、襲い掛かった公暁に襲われ実朝さんは亡くなりました。

公卿が先代将軍頼家の子。 呪われた源氏の運命を感じます。 その後、八幡宮から実朝の首を持ったまま逃走。 北条義時が追っ手を送り、殺害、という結末ですね。
実朝は28歳、公暁は20歳。 本当なら幕府を支えていたはずの若者でした。

この裏には源氏と北条を巡る陰謀もささやかれたり、公暁が将軍の座を狙っていたのだとか、憶測もいろいろありますが、真相は闇の中。 頼朝さんが存命なら起きなかった、不幸な事件が頼家、実朝と続いてしまったのだな、と思います。
さて、1月27日は、頼朝、頼家の跡を継いで将軍となった源実朝さんが亡くなった日です。 その死で、源氏将軍と河内源氏棟梁の血筋が絶えた、と伝わる、鎌倉が激震した日ということです。

この日は雪だったと伝わります。 今日、関東地方も大雪かもとのニュースが(それはそれで大変ですがっ)。


レオミクも、もちろん大好きで何度も足を運んだ鶴岡八幡宮。 由比ガ浜などへ行く途中でも、必ず立ち寄りました。 鎌倉の小さな街には不釣り合いな巨大な八幡宮。 源氏のチカラを体感できる場所です。

鎌倉時代はもちろん、この国の中心ともいうべき場所。 実朝さんは将軍の地位を継ぎましたが、武と謀略を駆使して時代を切り開いた頼朝さんとは違い、文化人の匂いが強く、また病弱でもあった方だと伝わります。

武士としては初めての右大臣という地位を得た実朝さん。 昇任を祝うため、鶴岡八幡宮へ拝賀されたのが最期となりました。

きっと、輝くばかりの壮麗な拝賀だったのだろうなと思います。
儀式を終え、夜になって退出の時、「親の敵はかく討つぞ」と叫び、襲い掛かった公暁に襲われ実朝さんは亡くなりました。

公卿が先代将軍頼家の子。 呪われた源氏の運命を感じます。 その後、八幡宮から実朝の首を持ったまま逃走。 北条義時が追っ手を送り、殺害、という結末ですね。
実朝は28歳、公暁は20歳。 本当なら幕府を支えていたはずの若者でした。

この裏には源氏と北条を巡る陰謀もささやかれたり、公暁が将軍の座を狙っていたのだとか、憶測もいろいろありますが、真相は闇の中。 頼朝さんが存命なら起きなかった、不幸な事件が頼家、実朝と続いてしまったのだな、と思います。
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