今は、動物愛護週間です。 思うことを書いておこうと思います。

可愛いレオン、そしてミク。 我が家ではもちろん、出来うる限りの愛情を注いで暮らしていました。

果たして充分だったのか、正しかったのか。 もっとできる事があったのか。 レオミクは幸せだったか。 自問自答を繰り返す毎日ではありますが・・・。
それでも、自信をもって、大切にしていた、愛情を注いでいたと言えると思っています。

動物愛護週間は、「動物を愛し、動物と人間の絆を強める」 目的で定められました。 大切なことだと改めて思います。

犬たちが人間をパートナーに選び、一緒に暮らすようになって、1万年くらい経つのでしょうか。 もちろん、猫や多くの小動物も同じですが、こんなに私たちを幸せにしてくれる存在は、稀有だと思います。

「正しい知識を持って動物と暮らす、その命の最期まで責任を持つ」、という、最も基本的で当たり前の約束が、こんなにも守れないのか、という現実を知ることも、この愛護週間の大切な目的だとも思います。

アメリカ動物愛護協会が1915年に定め、日本では第二次大戦後、GHQが1949年に実施を命じた 「動物愛護デー」 が始まりだと伝わります。

動物たちを守ってくれる法律、「動物の愛護及び管理に関する法律」。 その第四条に ひろく国民の間に命あるものである動物の愛護と適正な飼養についての関心と理解を深めるようにするため、動物愛護週間を設ける、とあります。
国だけでなく自治体や、関係する団体が協力し、動物愛護や保護管理について啓発を行うイベントなどを、積極的に開いています。 そうした場に足を運んで現実を見てみることも大切だと思います。

今でもなお、病気と闘い、ただただ、日々を懸命に生きたレオンとミクの最期の姿を思い出します。

健気で、一生懸命で。 命のすべてを共に暮らす家族である私たちに託すしかない子達。 私たちにもし何かあれば、命を全うすることができない、弱い子達です。

人間の子でさえ、残酷に虐待される荒んだ世の中。
温暖化で荒れ狂う自然が引き起こす災害に、簡単に破綻してしまう社会基盤。
そんな世の中で、共に暮らす動物たちが無事であることは、さらに難しくなるのかも、と不安になります。

でも、命が軽んじられる今だから、動物愛護の精神が、荒んだ人間に、心を取り戻すチャンスをくれるのでは、と思ったりもします。
ペットではなく家族であり、パートナーであること。
動物云々ではなく、命であること。
飼うのではなく、共に暮らすこと。
大切な命が、尊厳をもって接してもらえますように。

レオミクを我が家に迎えた時、知識もなく、ただただ可愛いというだけだったことは否めません。

でも、その思いは15年間、強くなり続けました。 たくさんの方々に多くのことを教えていただき、助けていただきながら、共に暮らした15年でした。 その日々はかけがえのない宝です。

悲しい現実は、目を覆いたくなる悲惨な状況は、いまだ続いていることが本当に信じられません。 こうしている今もなお、辛い思いをしている子達がいます。
生涯を全うしたレオミクも、そんな不幸な子達にも、なんら、違いなんてありません。 あまりにも酷過ぎる、残酷過ぎる現実に、憤りを覚えます。

そんな不幸な子達を救うために、苦心されている大勢の団体の方々、ボランティアの方々もいらっしゃいます。 そんな方々の優しい思いが世の中にもっと広まりますように。 血のにじむような努力が報われますように。

命を守ってくれる法律も、もっともっと早く適切に、世界基準に照らして恥ずかしくないレベルに達しますように。

そして、尻尾の家族みんなにとっても、幸多き日々でありますように。